祝❗️助産院こもれび家1周年❗️

2021年9月6日、助産院こもれび家は1周年を迎えました‼︎

1年・・・何だか早すぎて実感がありませんが、皆様に支えられ無事に1周年を迎えることができました。

本当に本当にありがとうございます。

2020年2月、私はついに、その2年ほど前から密かに夢見ていた助産院開業のための物件を見つけた。

初めはこんな場所で助産院をできたら、なんて素敵なんだろう・・・と妄想しながら、とりあえずこの大きな二世帯住宅の広いお庭の物件を内覧。(見るのは自由ですよね〜)

広〜い‼︎このリビング最高‼︎いいね、いいね〜‼︎ここはこうして・・・ここは・・・。

はあ〜、良い。なんて良いの。

・・・ʕʘ‿ʘʔ

〇千万(°_°)ですって‼︎

で〜す〜よ〜ね〜‼︎

私に買えるはずないわ・・・。

あ〜いい夢見たな♡明日からまた仕事頑張ろっ。

夢を諦めかけたその時、株式会社こたつ生活介護の大江社長さん、同じくこたつ生活介護高齢者住まい相談室の松田さんと大嶽さんが現れ、「一緒にやりませんか?」

何ですと⁉︎

・・・?

・・・‼︎

∑(゚Д゚)

「はい‼︎やりますっ‼︎やりますとも‼︎」(少しは悩みましたが・・・。)

こんな幸運あります?

この素敵な物件はこたつさんがご購入、そして私は二世帯のうちの片方を賃貸し助産院に。同時に私はこたつさんが二世帯住宅のもう片方で運営するシェアハウスの管理人となりました。(現在はシェアハウスはやっておりませんm(_ _)m)

幸運すぎます‼︎

大江さん、松田さん、大嶽さん、いつも本当にありがとうございます。(大江さんも松田さんも大嶽さんも、仏の様に穏やかで優しい方たちで、またしても「神様ありがとう」の心境。)

そして・・・その日から一気に駆け抜けた。

5月に病院勤務を辞め、こもれび家開業のため奔走。

しかし、3ヶ月後に職場を辞めると辞表を出した2ヶ月後には、コロナによる緊急事態宣言で、子どもたちが保育園に行けなくなるという状況。

当時1歳8ヶ月の次女は4月1日から入園して、慣らし保育始まってまだ3日・・・。

1年待った保育園、入園できただけでもありがたかったけど、この時のショックは、私が育休明けて職場復帰した後、保育園に入園できるまでの8ヶ月の間、自身の自営業の仕事をほとんどできずに育児をしてくれていた夫の方が大きかったに違いない。

病院勤務中の私の夜勤は月に7〜8回。

しかし夜勤前も夜勤明けも子供たちが

「ママ〜‼︎ママ〜‼︎ママがいい〜‼︎」

とべったり・・・。

そのため、夫は夜勤前と夜勤明けに私を寝かせるために、子供達を連れ出してくれるのだが、最初の緊急事態は公園も遊具にテープやロープが張り巡らされ、行く場所がないという現実。

私が寝なければ良いのだ、という思いとは裏腹に寝なければ体も心も限界だよレベルで、「ごめん。」という気持ちで寝室へ。

数時間の仮眠の後、帰宅した子供と夫のために簡単なお夕飯(カレーかシチュー、うどん、鍋がほとんど・・・笑)を作り、洗濯物を取り込み、お風呂の支度をしてから15時45分に出発。電車とバスを乗り継い位で30分強、病院のロッカーへ到着するのは16時半。制服に着替え、17時から業務開始。

そしてふと気がつくともう深夜1時。ご飯食べたかな?ちゃんと寝れたかな?パパは大丈夫かな?

明日も帰ったら夫と子供たちはいないだろうな。パパ、いつもありがとう。存分に自分の仕事させてあげられなくて、申し訳ない。

でも・・・そろそろ・・・いろいろ限界だよね・・・。

そんなことを思いながら翌朝11時に帰宅。(電車で寝過ごし最寄りの西立川駅を過ぎ、拝島駅まで行ってしまうこともしばしば)すでに夫と子供たちは外出済み・・・。

「ごめんね、駿さん(夫)・・・。寝かせてもらいます・・・。」と呟き朦朧となりながらベットに倒れ込む。

6月1日に緊急事態宣言が解除され、保育園に登園できるようになるまでの約2ヶ月、こんな生活を家族で乗り切った。

「助産院開業を目前にコロナって何⁈もう開業なんて無理だよ・・・。」と、涙した日もあった。

不安でたまらなくて、病院に辞表を出したことを思いっきり後悔した日もあった。

でも本当に心が折れそうになった時、支えてくれたのは夫と親友のあずさん、そしてこもれび家立ち上げの時のクラウドファンディングを手伝ってくれた仲間たちだった。(ベニさん、あっこさん、ツキさん、さやかさん、みほ先生、本当に本当にありがとう。)

この時の緊急事態宣言と外出自粛生活の経験は、我が家よりもっと過酷な状況で家庭で孤立しているママと子供がいる、これはとても大きな問題だ、ということを身をもって感じさせられた。

里帰り出産をして実家で産後のサポートを受けるはずだった、実家の両親が自宅に手伝いに来てくれるはずだった、上の子が保育園や学校に行ってくれている間に昨夜の授乳と赤ちゃんのお世話での睡眠不足を日中のお昼寝で解消するはずだった、など赤ちゃんが生まれた後の生活を想定し、準備していた・・・

のに‼︎

否応なしに一人でやるしかない‼︎という状況に置かれたママたち。

想像してみてください。

夜泣きでどんなに眠れない夜があっても、家事、育児はやらなければならない。そしてまた、眠れない夜がやってくる。赤ちゃんと自分だけの孤独な夜。(パパは仕事だから寝かせてあげなきゃ・・・。でも私も寝たいよ・・・。)

日中、赤ちゃんだけならまだしも、保育園や学校に行けない上の子がいる場合には、お昼ご飯の用意も必要、そして元気で好奇心旺盛な子供たちは毎日自宅で過ごすにも限度があり(子供は外に出たい‼︎)、結局、TVをつけ、DVDを見せ、スマホを渡す・・・。

「TVってこんなに見せたらいけないですよね。」

「スマホは良くないってわかってるんですけど・・・」

の声。

私自身も自分の育児で感じたことだ。

でも・・・

毎日睡眠不足の上、ワンオペ育児の中、上手に全ての子供(兄弟姉妹)を遊ばせることができますか?

睡眠不足は判断力を鈍らせ、精神的なダメージも大きく、もちろん身体的なパフォーマンスも落ちる。(そもそも産後すぐなんて身体的なダメージはそれだけでほぼMAX・・・貧血、後陣痛や傷の痛み)

授乳しながらウトウト、ふと気づくと上の子から目を離してしまった・・・。

もう2時間以上TV見てる・・・。でもTV見てる間にちょっとだけでいいから寝たい。お昼寝してくれないかな・・・。お昼寝15分で起きちゃった、あーあーやっと寝たと思ったのに・・・。

そんな風に思う私って、あ〜もう、本当にダメな母親・・・。

そんな悪循環が続き、どんどんとメンタルが追い込まれていってしまいます。

コロナだから仕方ない。

里帰りは諦めた。

両親に来てもらうのは心配だし申し訳ないから一人でやる覚悟を決めた。

妊娠中マタニティークラスは中止で不安な中、立ち合い出産もできず、入院中の面会もなし。

「仕方ない。頑張るしかない・・・」

でも・・・

「こんなはずじゃなかった。もうしんどいよ・・・。誰か助けて。」

病院勤務中もそんなママたちの状況を身近に見てきた。

入院中よりも退院時、退院時よりも2週間健診、2週間健診よりも1ヶ月健診。

通常なら、赤ちゃんのいる生活にどんどん慣れ、少しずつ余裕が出てくる。経産婦さんは特に。

しかし、経産婦さんほど、どんどん笑顔がなくなり、どんどん疲れ果てていく。

話を聞くと・・・やはり上記の状況。

私も一時は心が折れそうになったけど、こんな時期だからこそ、私はママの笑顔のために居場所となる助産院を作らなければならない、ということを強く思った。

「誰か助けて」と言える場所と存在が今こそ必要だと。

そうして2020年9月6日に開院した助産院こもれび家。

9月6日は私が尊敬する父の誕生日。そしてそれに因んで8年前に行った、私と夫の結婚式記念日。

「こもれび家」は夫と義母が2015年5月まで西立川で経営していたカフェ&バーの店名。

私と夫はこの「こもれび家」をいつか必ず復活させようと心に決めていたので、助産院のネーミングを決める時は迷わずにこの名前にした。

かつて夫と義母が営んだ「カフェ&バーこもれび家」。あの場所を知る人は、この助産院こもれび家が目指す居場所を知っているはずである。(義母:通称「アンネ」は時々助産院こもれび家に出没します。)

そういえば、去年のこの日は、普段ほとんど外出しない父がこもれび家に来てくれて、特製の熊本名物「だご汁」を作って振舞ってくれた。本当に美味なんです。昔から我が家では人が集まる時は父のだご汁が恒例。

こもれび家で父のだご汁を食せたのは、もしかしたらこの日が最初で最後となるのかも・・・。(現在、熊本県阿蘇市在住。コロナのため1年会えていません。父は79歳。阿蘇の田舎に東京から帰郷することは、コロナ渦の今、実現はとても難しい状況です。)

コロナのためこっそり開院し、1周年もこっそり迎えました。

「自分が産んだ時にこんな場所があったら良かった」

「こもれび家があったから救われた」

そんな声に涙が出そうになりました。本当嬉しかったです。

「ママの笑顔と、子供達の未来のために。」

こもれび家はここからますます、もっともっと力強く走って行きたいと思います‼︎

これからもこもれび家をどうぞよろしくお願い致します‼︎

支えてくださっている皆様、感謝致します。

いつも本当に本当にありがとうございます‼︎‼︎‼︎

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